HIROY’s diary

定年後の京都移住を計画中

定年京都移住1-77_還暦

先週還暦を迎えた。

よく言われるが、長かったような、あっという間のような、漠とした感じだ。

特別なことはなく、先月結婚した下の娘と家で食事をして、新生活が無事であるか確かめただけだ。

上の娘も今年嫁いだが、インフルエンザに罹って寝ていたらしい。

3月末に定年退職、京都に引越すまでの数年間はフルに働こうと思う。

38年前に入社した頃は定年など想像も付かず、当時は55歳だったが、失礼ながら爺さんに見えたものだ。

磯野波平氏の設定が54歳、という時代だった。

小生が生まれた頃の男性平均寿命は65歳、今では81歳を超え、人生100年時代も現実味がある。

隔世の感だが、健康寿命が伸びるのは大変幸せなことで、これからの生活をいかに充実させるかが課題だ。

先月京都、滋賀を一緒にサイクリングした同じく還暦の友人は日頃ヒルクライムで鍛えているらしく、同じブロンプトンでも全く追い付けなかった。

まずは足腰の鍛錬からと知った。

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定年京都移住1-76_聖護院

先月初めて左京区の聖護院門跡を訪れた。

通常は予約拝観だが、今秋は特別拝観が設定され、約1時間じっくり説明を伺いながら参拝した。

修験道、山伏の総本山でありながら、天明の大火の折には光格天皇の仮御所ともなった門跡の二面性に興味があった。

狩野永納、益信による老松の襖絵が迎える宸殿大玄関には、鈴懸という山伏の法衣が展示される。

法親王が居住した宸殿には130面もの障壁画が飾られ、代々皇室や摂家が門跡となられた格式の高さと雅を感じる。

縁起は、修験僧として名高い増誉大僧正が先達を務めた白川上皇熊野御幸の功績により聖護院を賜ったとある。

明治までは鴨川にかけて鬱蒼とした「聖護院の森」が広がり、有名な聖護院大根や八つ橋はこの地で作られたということだ。

後者は今も通りを挟んだ二つの店で売られている。

どちらも立派な店構えで迷ったが、聖護院八つ橋総本店で土産品を求め、本家西尾八つ橋の食事処で湯葉にゅうめんを頂いた。

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定年京都移住1-75_大津サイクリング

紅葉シーズン真っ盛りにブロンプトンで京都から滋賀へ向かった。

朝8時過ぎ京都駅に到着、ホテルに荷物を預け三条通りを東へ走る。

三条大橋を渡るとまさに東海道中、神宮道辺りから徐々に上り、蹴上を過ぎて山科区に入った。

御陵から琵琶湖疏水まで坂を上って安祥寺と毘沙門堂を参詣、疏水沿いに紅葉を楽しみながら進む。

山科駅から東に15分程走ると府県境、小関越えの旧道になり、荒れた道をやっとの思いで押して登った。

峠を下ると名刹三井寺の広大な境内がすぐ近く、300円払って有名な三井の晩鐘を撞かせて頂く。

京阪石山坂本線沿いに北へ皇子山、大津京近江神宮と進む。

667年、天智天皇は飛鳥から大津京に遷都したが、壬申の乱により僅か5年で廃都となった。

延暦寺に登るケーブル坂本駅入口を過ぎ、平安京の表鬼門日吉大社に着いた。

3千本のもみじに感嘆し、日吉、日枝、山王神社総本宮としての格式、檜皮葺の本宮本殿の厳かな空気に身が引き締まる。

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定年京都移住1-74_哲学の道

哲学の道沿い、法然院の近くに哲学者西田幾多郎の短歌「人は人吾は吾なりとにかくに吾行く道を吾は行くなり」の石碑がある。

日本の道100選の疎水沿いの小径だが、当時は思索に耽る静けさがあったのだろう。

今まで高名な著作に触れる機会は無かったが、先月NHK100分de名著で「善の研究」を取り上げていた。

東京工業大学の若松教授が難解な哲学書を分り易く解説する。

西田哲学の代表作は明治44年、京都大学助教授の時に発刊されたが、それまでに父、兄弟2人、子供2人を失い、その後も母、妻と3人の子供を亡くしている。

「哲学の動機は驚きではなくして深い人生の悲哀でなければならない」という言葉に重みがある。

「実在」を認識するうえで、花園の妙心寺に参禅する経験が思索の土壌になっていたそうだ。

純粋経験」「主客合一の作用」「知意未分以前の統一」「絶対矛盾的自己同一」など形而上的な難しいワードが多いが、ガイドを頼りにじっくり勉強したい。

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定年京都移住1-73_飛鳥巡り

近鉄飛鳥駅からレンタサイクルで橘寺、石舞台古墳、岡寺、飛鳥寺、甘樫丘、高松塚古墳キトラ古墳と巡った。

飛鳥エリアは点在する太古の遺跡や寺院を回るのに自転車が便利だが、今回は天候不順のためブロンプトンを持ち込んでいない。

聖徳太子生誕の地、橘寺を参拝したあと石舞台古墳に向かった。

巨石を積み重ねた古墳は太古のロマンだが、VRゴーグルでその造り方がよく分かる。

飛鳥寺は6世紀末に蘇我馬子が建立した日本最古の本格寺院、止利仏師作の本尊釈迦如来坐像は飛鳥大仏と呼ばれ、こちらも最古の仏像だ。

寺の南には中大兄皇子中臣鎌足蘇我入鹿を討った「乙巳の変」の舞台、飛鳥宮跡がある。

甘樫丘展望台からは東に飛鳥宮跡を、北に香具山、耳成山畝傍山に囲まれた藤原宮跡を望む。

この風景を聖徳太子も眺めたのかと思うと古代史の舞台に立ったようだ。

甘樫丘から南へ高松塚古墳に向かった。

50年近く昔に、鮮やかな壁画の記念切手を求めたことを想い出す。

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定年京都移住1-72_大和巡礼

東博の奈良大和四寺みほとけ展に触発され、先月初めて宇陀、飛鳥方面を訪れた。

初日は近鉄大阪線室生寺長谷寺安倍文殊院を、2日目は吉野線飛鳥駅から岡寺などを巡った。

朝6時のぞみ号で品川を出発、室生口大野駅からバスで女人高野と称される室生寺に11時半過ぎ到着した。

深山幽谷真言密教寺院、雨そぼ降るなか奥の院までの石段を登ると神聖な霊場の雰囲気を感じる。

桜井市初瀬の長谷寺は、仁王門から399段続く登廊、懸造りの国宝本堂と10メートルを超える本尊十一面観音菩薩立像が圧巻だ。

安倍文殊院は645年創建、本尊の快慶作国宝騎獅文殊菩薩像は四人の脇侍を伴う渡海文殊群像と称され、説法の旅のお姿になる。

獅子のユーモラスな表情と善財童子の無邪気さに癒される。

明日香村の東の丘に建つ岡寺からは葛城山金剛山を望み、本尊は塑像として国内最大の如意輪観音菩薩坐像である。

岡寺で大和四寺共通拝観券を回りきり、巡礼衣(おいずる)の御朱印が完成した。

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定年京都移住1-71_時代マップ

古地図本では新創社の京都時代MAPと両洋歴史研究会の京都歴史地図をたまに眺める。

現代の地図と照合できて面白い。

京都大学尾張徳川、土佐山内、会津松平屋敷跡に跨がり、同志社大学は薩摩島津屋敷、京都府庁京都守護職邸、京都市美術館、国立近代美術館、みやこメッセの一帯は加賀前田屋敷、ホテルオークラは長州毛利屋敷、日本銀行京都支店は角倉屋敷、リッツカールトンも角倉屋敷の跡地である。

南に下り伏見板橋小は尾張徳川、月桂冠昭和蔵は紀伊徳川、松山酒造は薩摩島津、桃山高校は毛利輝元の屋敷跡だ。

歴史を遡ると、平安女学院織田信長足利義昭のために築いた旧二条城、同志社大学寒梅館は足利将軍家の花の御所、烏丸御池近くの高松神明神社後白河天皇の内裏、六波羅蜜寺周辺は平清盛の邸宅泉殿など平家の一大拠点、平安神宮一帯には白河天皇離宮や六勝寺があった。

五条大橋辺りを散策中、光源氏の邸宅六条院のモデルとなった河原院の跡碑を見つけ、その広大さに驚いた。

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