定年京都移住2-57_長岡京
桓武天皇は平安京に都を開く十年前、784年に平城京から長岡京に遷都した。
不勉強で経緯を知らなかったが、日本史図録の位置図では、長岡京と平安京の内裏は直線で約10kmと近い。
僅か十年で同じ山背国の乙訓郡から葛野郡に再遷都した理由は、怨霊への恐怖と相次ぐ河川の氾濫だったという。
天皇の権力を強化するため、仏教寺院が強い大和国から都を移したが、旧勢力により腹心の長岡京造宮使が暗殺される。
首謀の大伴氏一族と連座して皇太子早良親王も粛清され、その怨霊による祟りが都を襲ったとするものだ。
恐れた天皇は再遷都した後に、慰霊のため早良親王を崇道天皇と追贈し、奈良に崇道天皇社を、京都上高野に崇道神社を創建、ご祭神として祀った。
怨霊伝説は多くあり、菅原道真、平将門、崇徳天皇を日本三大怨霊というが、それぞれ北野天満宮、神田明神、白峯神宮などで手厚く祀られる。
怨霊の怨みを鎮め御霊とすることで、祟りを免れ守護神になる、という御霊信仰だ。