HIROY’s diary

定年後の京都移住を計画中

定年京都移住2-23_オープン戦

今週神宮でヤクルト対阪神戦を観る予定だったが、コロナウイルスのため全オープン戦が無観客試合になった。

両軍とも先月亡くなられた野村監督が率いたチームで、スワローズ時代は1992年を皮切りに4度のリーグ優勝、タイガースでは3年連続最下位と明暗を分けた。

南海、ヤクルト、阪神楽天4球団の監督としての戦績は1566勝1564敗76分け、弱者の流儀を掲げ負け犬チームを変革した功績は数字以上だ。

監督は京丹後市網野町出身、3歳の時に父を亡くし、極貧の生活から兄の支援で峰山高校に進学した。

1954年南海にテスト生として入団したが、肩が弱く1年でクビを言い渡されたという。

その後ホームラン王9回、三冠王にも輝いた立志伝中のレジェンドだ。

ID野球と言われるが、選手自身で考え、強者に勝負を挑む姿勢を重視した。

昨年7月神宮のヤクルト50周年ドリームゲームで見た監督の最後の打席とスワローズの現状を憂える「何をやってんだ!」の喝が心に残る。

f:id:HIROY:20200226221044j:image