定年京都移住2-27_甲子園球場
令和最初のセンバツ甲子園は史上初の中止となった。
朝乃山が大関昇進を決めた大相撲春場所と同様に無観客開催の道もあったが残念だ。
小学生の夏休み、関西の親戚に万博と甲子園に連れて行ってもらい、今でも応援の熱気とカチワリを覚えている。
昨春は京都から龍谷大平安と福知山成美が出場したが、今春の近畿勢は大阪桐蔭、履正社、天理、智辯、智辯和歌山、明石商の6校、関東勢は群馬から健大高崎と桐生第一、他に国士舘、東海大相模、花咲徳栄、山梨学院の6校だった。
21世紀枠で選ばれた磐城と昨年センバツに出場した桐蔭学園の熱戦は記憶がある。
昭和46年夏の甲子園決勝で両校は激突、桐蔭大塚投手が1ー0で完封した。前年夏の東海大相模に続く県勢連覇にテレビの前で歓喜した。
その後偶然にも、いわき市の親戚宅に向かう常磐線の特急列車に、甲子園から凱旋帰還する磐城高野球部メンバーと乗り合わせ興奮したことを思い出す。
夏の大会が無事開催されることを祈りたい。