定年京都移住1-63_歎異抄
2年前のNHK100分de名著で「歎異抄」を取り上げていた。
親鸞聖人の弟子唯円による700年以上前の書物だが、歎異は「異義を歎く」という意味で、師の教えの真意を伝える目的で書かれたものだ。
相愛大学の釈徹宗先生が分かりやすく、他力と自力、易行と難行、の違いを解説する。
法然上人の教えは、「阿弥陀仏の本願によって誰でも浄土に往生できる。厳しい修行などできない凡人は仏の名を称えよ。」という誰もが実践できる易行の仏道だ。
親鸞は師の教えをさらに進め、「阿弥陀仏を信じた時点で往生も定まる。」と説いた。
人間は煩悩や欲望から逃れることはできず、他力に頼らざるをえない、という教えには少し安心感を覚えた。
付録に「承元の法難」の流罪記録がある。
親鸞は35歳で僧籍を剥奪、越後国へ流され、非僧非俗の立場で愚禿釈と名乗った。
その後常陸国に移り、63歳で帰洛するまで、関東での布教が20年にも及んでいたことに驚いた。