定年京都移住2-14_賀茂サイクリング
NHK趣味どきっ!「ニッポン神社めぐり」には「出世」の回に賀茂別雷神社が紹介されている。
賀茂別雷大神を御祭神とする上賀茂神社には、賀茂御祖神社、通称下鴨神社と合わせブロンプトンで数回訪れた。
白鳳年間に造営された山城国一之宮、広大な境内は開放感があり清々しい気持ちになる。
背後にGHQが造ったゴルフ場があるとも聞いた。
鴨川を北上、出町デルタからは賀茂川沿いに進み、北大路橋を過ぎると桜並木の「半木の道」だ。
近くの府立植物園も隠れた紅葉の名所と聞くので、隣のカフェテラス ㏌ The Green と訪れたい。
御薗橋を右折すると大鳥居が見える。
境内から流れる明神川沿いに進むと社家屋敷が並ぶ伝統的建造物群保存地区に入り、唯一西村家が公開されている。
京都の保存地区は上賀茂、産寧坂、祇園新橋、嵯峨鳥居本の4ヶ所ということだ。
東へ進み摂社太田神社、深泥池、宝ヶ池公園を回り、高野川沿いに下るとデルタに戻ってくる楽しい周回コースだ。
定年京都移住2-13_神田明神
NHK趣味どきっ!「ニッポン神社めぐり」の第4回「出世」の神様は日枝神社、第7回「健康」では神田神社を取り上げた。
それぞれ江戸城の裏鬼門と表鬼門に当たる。
この都心の社は比較的身近で度々参詣している。
永田町の日枝神社は、昨年11月に訪れた近江日吉大社の3800余ある分霊社で山の神オオヤマクイをお祀りする。
赤坂の事業所に2年ほど勤めていたことがあり、仕事のリフレッシュを兼ねてよく訪れた。
外堀通りの喧騒から裏参道の石段を上るうち自然と気持ちが落ち着いた。
神田明神のご祭神の一つは平将門公、大手町に将門塚が祀られる。
こちらも仕事繋がりだが、大手町の事業所が将門塚保存会の会員だったご縁で、平成20年5月の神田祭りに参加させて頂いた。
大神輿渡御の日、神田から日本橋、丸ノ内と町会を巡行する途上、神輿が当事業所前に止まり、盛大な掛け声で祓い清めて下さった。
法被姿で氏子行列の到着を待ち、お祓いにお礼申し上げたことも良い思い出だ。
定年京都移住2-12_阿蘇神社
NHK趣味どきっ!「ニッポン神社めぐり」の第6回「安全」の神様は常陸国一之宮鹿島神宮を取り上げた。
テキスト表紙を飾る水上鳥居は鹿島神宮参拝の玄関口にあたる。
広大な境内には鹿園があり、神使の鹿として春日大社に招かれたという。
下総国一之宮香取神宮も紹介され、鹿島神宮と同じく、地震などの災いを呼ぶナマズを押さえつける要石があるそうだ。
要石は形状から二社で一体ともいわれ、両神宮を合わせて訪ねたい。
今回登場しなかったが、古社では出雲大社、伊勢神宮外宮、金刀比羅宮に参詣したことがあり、何れもそのスケールと神々しさに圧倒された。
2年前、大分由布院を旅行した際には被災した肥後一之宮阿蘇神社を訪れた。
2016年4月の熊本地震により倒壊した楼門と拝殿が痛ましく、隣に設置された仮拝殿でのお詣りは辛かった。
レンタカーで周辺を走ると所々崩れていたり通行止めの区間もあった。
定年京都移住2-11_都七福神
NHK趣味どき!「ニッポン神社めぐり」の第5回は「商売繁盛」の神として日本橋七福神を取り上げた。
このうち水天宮には30年程前、安産祈願にお参りしたことがある。
都心に七つの神社が集まっているのでぜひ巡拝したい。
福をもたらす七福神信仰は室町末期に京都から始まったが、七柱のうち日本生まれの神様は恵比寿神だけだと言う。
そして唯一の女神が弁財天、唯一実在した僧侶が布袋尊ということだ。
都七福神では、東寺の毘沙門天、六波羅蜜寺の弁財天、ゑびす神社の恵比寿天、革堂行願寺の寿老人に参詣した。
残る三つは赤山禅院の福禄寿、松ヶ崎妙円寺の大黒天、萬福寺の布袋尊になる。
宇治の萬福寺を除く六社寺の巡拝は、京都駅を起点とする約25kmのサイクリングコースとして紹介されるが、修学院離宮の奥の赤山禅院までは少々上り坂になるようだ。
定年京都移住2-10_神社めぐり
昨年12月からNHK趣味どきっ!「幸せ運ぶ!ニッポン神社めぐり」を楽しみにしている。
第1回は近江国一之宮建部大社、第2回は京都の地主神社と安井金比羅宮を取り上げた。
ヤマトタケルをお祀りした古社の御利益は災厄・災難除けだそうだ。
日本書紀、古事記にも登場する伝説的英雄、日本武尊(倭建命)のことを殆ど知らなかった。
まだ瀬田川を渡っていないのでぜひ参詣したい。
地主神社は清水寺の境内にある古社で「縁結びの聖地」だが、いつも人が多く石段を上がったことがない。
崇徳天皇を祀る安井金比羅宮には参拝したが、こちらは地主神社と逆に「縁切り神社」と呼ばれる。
定年京都移住2-9_空海と曼荼羅
昨年のDiscover Japan誌に「はじめての空海と曼荼羅」の特集があった。
空海は804年31歳の時に遣唐使船で唐に渡り、密教の根本道場で阿闍梨位を継承、布教のため経典や仏像、曼荼羅などを持ち帰った。
43歳で真言密教の本拠地として高野山を開山、50歳の時に嵯峨天皇から東寺を下賜されたという。
曼荼羅は密教の悟りの境地である宇宙の真理を視覚化した図で、さらに21体の仏像により三次元化したものが立体曼荼羅である。
仏教を顕教と密教に分け、顕教が釈迦如来を本尊とし、修行を積んで成仏するのに対し、密教ではすべてのものは大日如来が姿を変えたものと考える。
現世における肉体のままで仏であり、仏性に目覚めれば大日如来の真理と一体になれる。
弘法大師は仏性の心のありようを10段階に分けた「十住心論」を説くが、省みるとまだ本能に支配された第一住心と良心が芽生えた第二住心の間を彷徨っている辺りだろうか。
定年京都移住2-8_川崎大師
初詣は川崎大師平間寺に電車で出掛けた。
大師には対岸の羽田国際線ターミナルと合わせて自転車で度々訪れている。
昨年の正月もクロスバイクで向かったのだが、多摩川サイクリングロードを走行中、不覚にも対向車と接触、落車したため叶わなかった。
今年は後厄になる。
大本堂でのご祈祷は読経と太鼓、護摩木を焚く炎の迫力が気持ちを高揚させる。
祈祷後に御本尊の厄除弘法大師像を拝しお札を頂く。
数年前に参拝した成田山新勝寺での護摩体験を思い出したが、どちらも真言宗智山派の大本山だ。
大本山三寺院のもう一つは高尾山薬王院、ハイキング中に水行道場の滝を眺めた記憶がある。
総本山は京都七条の智積院、他に大報恩寺や六波羅蜜寺なども京都の智山派寺院だ。
この三寺には以前参詣したが、何れ劣らぬ寺宝を持つ。
長谷川等伯、久蔵作の障壁画楓図、桜図、定慶作六観音像、快慶作十大弟子立像、康勝作空也上人立像、平清盛坐像など、何度でも拝観したい国宝、重文だ。